何がスターウォーズ スカイウォーカーの夜明けをダメにしたのか?
こんにちは、じゃん吾です。
最近クソ寒くてもうトーントーンの腹に入るしかないね。腹の中は特に臭いぞ!ってな。
カイロレンとレイの恋愛にキャーキャー言ってるぱーぷりんな最近のスターウォーズ女子には全く通じなさそうなネタですが、ここにスカイウォーカーの夜明けをダメにした要素が凝縮されています。
順を追って話していきましょう。
その1 誰のためのスターウォーズか
スターウォーズは、元々ジョージルーカスが12歳の少年のために作った映画と言われています。これから出会う恐ろしい現実に立ち向かうために夢を与える映画だということです。発言のソースはめんどいので載せませんが、まあ1〜6を観ていて若い女性をターゲットにしていると思う人はいないでしょう。西部劇を下敷きにした宇宙での戦闘、どこまでもディティールを追求したメカニカルで泥臭い世界観、そしてテキトーな恋愛描写。
どこまでも男、そして男の子の心を鷲掴みにするものであふれていました。それでも好きになる女性は沢山いますが、オタク的である意味マジョリティではない女性と言えるのではないでしょうか。
しかし、続三部作にはそう言った要素がほとんどありません。7の時点ではまだワクワクするような要素がありました。カイロレンの忍者っぽいマスクや、十字型の厨二病心を刺激するライトセーバー、次々に敵を撃墜するポーダメロン。私が続三部作で7だけ唯一気に入っているのはそのワクワク感があるからでしょう。
しかし、スカイウォーカーの夜明けにはそれが全くありません。全編通して、ディティールがわっやわやなのです。
出てくる惑星は見たことあるような風景ばかり。砂漠の惑星多過ぎだろ。もっと住みやすいとこ住めよ。
魅力的で斬新なメカはなんと一つも出てこない!唯一あったのはランドの戦車くらいかな?でもあれもありきたりなデザインでした。
最後の惑星エクセゴルも「何となく暗くて悪っぽい雰囲気」なだけ。あそこ暗すぎだしなんもなさ過ぎだろ。絶対不便だしどうやってあの星で生活してるんだシスの信奉者。
カイロレンもレイもずっと見た目がほとんど変わらないし、カイロレンに至っては古いマスクを直して使ってます。エコかよ。グレタさんに影響されたのか?
何一つ、何一つとして新しいビジュアルがこの映画にはない。
これは、恐らくターゲットがマニアな男性ではないことから来るのではないでしょうか。
マニアは基本的にごちゃごちゃしたメカが大好きだし、情報量が多いと燃えてきます。
しかし、スカイウォーカーの夜明けではボヤッとしたイメージしか示されません。これは、ボヤッとしたイメージで満足な、いわゆる「ライトな女性」がターゲットだからではないかと私は思います。男女と分けてしまっていますが、女性にかぎらず「スターウォーズにさしてこだわりのない、雰囲気だけ楽しめればいい流行に乗りたいバカ」と言い換えてもいいです。
カイロレンとレイの関係さえフォーカスしておいて、急いで見た6部作をテキトーにオマージュしおけば、あとはボヤッとしていても文句を言わないと思っているのでしょう。
これもディズニーの得意なマーケティングの結果かもしれませんね。ライトな層にウケたいという。
しかし、私はスターウォーズに「お前なんか見てないから」と言われたような気持ちになり悲しかったです。同じようなことを思った人結構いるんじゃないでしょうかね。お前らスターウォーズマニアなんてどうでもいい。可愛いグッズを沢山買うライトなファンがついてくればお前はいらない、と言われた気分です。
被害妄想っぽいですが、あながち外れてもないやうな。
まとめると、流行りに乗りたいバカな女とその女と仲良くなりたいバカな男にグッズを売るための映画であるゆえに、深みを失ったと言えそうです。
その2 情熱の代わりに忖度を、個人の思想の代わりにポリコレを
この続三部作は、一言で言ってしまえば監督個人の情熱やこだわりが一切感じられません。EP8においてはライアンジョンソンが強烈に作家性を出しているように見えますか、あれは宇多丸師匠がいうところのスターウォーズらしさへの逆張りばっかりで、独自性は実はほとんどありません。
そして最も情熱のなさが際立っているのが今作スカイウォーカーの夜明けです。とにかくこの3部作をまとめなくてはいけない、しかもディズニーや女帝キャスリーンケネディの注文にも応えなくてはいけない、そしてコアなファンたちを怒らせてはいけない、そんな「こうしなくてはいけない」を集めて作られた感が随所から香る。
その結果、見たことのある形の船が沢山出てきて、プリクエル要素はほとんどなく、パルパティーンが復活してしまいました。
全て作り手の情熱ではなく、「こうしたら怒らないよね?みんな喜ぶよね?」という忖度由来の要素しかないのです。これで喜んでいるのは、もうほとんどキャバクラで機嫌とられて喜んでるおじさんみたいなもんですよ。
要はバカってことです。
本当にスターウォーズファンが観たかったものはそんなものじゃありません。旧三部作にも新三部作にもなかったようなメカや、観たこともなく恐ろしい悪役、そして驚きの展開です。
きっと、肯定する人も否定する人も出たでしょう、新三部作のように。でももし続三部作が強い情熱のもとで作られたなら、こんな虚無映画は出来上がっていなかったでしょう。
結局、ディズニーとルーカスフィルムは、ファンを舐め腐っているとも取れます。ファンは新しいものを許容できないだろう、プリクエル要素を叩くだろうと。そうした忖度はことごとく外れました。もっとプリクエル的な美しいライトセーバーバトルをみんな観たかったし、もっと新しいものだらけの、驚きに満ちたスターウォーズを観たかったのです、本当は。
そして、続三部作には、明確な思想がありません。6部作には、ジョージルーカスという個人の思想が貫かれていました。
しかし、この三部作にはそんなものはなく、このインターネット社会で共有される、薄っぺらなポリティカルコレクトネスが映画を支配しています。
今作では、誰が喜ぶのか分からないレズビアン同士のキスがそれをよく表しているでしょう。
そして出演時間が大幅に減ったローズは今作でも不愉快な存在です。第一ローズって8でフィンの特攻台無しにして作戦をファーストオーダーに漏らしただけのブスなのに、どうしてなんかレジスタンスでいいポジションにいるんだ?
能力の無い女に下駄を履かせる現代の逆差別を風刺しているとかだったら今作の評価は少し上がりますけどね。
スターウォーズを観てたら説教くさいブスが出てくる。俺たちが何をしたというんだ。
ローズ役の女優ケリーマリートランですが、スタイリングの悪さも出ています。なんか8より更に太ってたよね?ちなみに普段の姿インスタで見たら可愛かったですよなかなか。
アジア人はブスに写さないといけないルールでもあるのか?
ポリコレは、キャラクター造形にも大きく影響しています。レイはその最たるものです。レイは今作でも強く叫び、乱暴にライトセーバーを振り回します(またレイのアクションの下手さと言ったらない)。女性の解放を声高に叫び乱暴に男性を非難するフェミニストの方々にそっくり。
こうしたポリコレも、世間の声の集合体であるがゆえに内実はありません。そんなものを取り入れたところで、個人の思想の代わりには全くならず、ブレブレの世界観を作る結果になっています。
まとめ
スカイウォーカーの夜明けは、コアなファンたちを恐れつつも見下して忖度し、流行りに乗りたいだけの薄っぺらい人達をターゲットにしてポリコレを表面的に取り入れて作られた、ハリボテのような映画です。
実は、私鑑賞1回目は好きだったんですよ。何回か泣いたしね。
しかし2回、3回と見るうちに怒りが湧いてきたので、どうにか言葉にしようと思ってこれを書きました。
拙い文章(本当に)でしたが、少しでもこの思いを誰かと共有できたらいいなと思います。
じゃん吾でした。
てかレン騎士団何もしてなくね?
ブラックパンサーそんなにおもろいか?
つい先日、アカデミー賞授賞式があったわけだが、その授賞ラインナップに関して何か気味の悪さというか、気持ち悪さを感じている。
特に違和感を覚えたのは、ブラックパンサーとボヘミアンラプソディーの授賞だ。ボヘミアンラプソディーは別に書くとして、ブラックパンサーの授賞に感じる気持ち悪さについて書いてみたい。
まず最初に述べておくと、私はあの映画をそこまで出来がいいとは思わなかった。
いやいやあの映画にはキング牧師とマルコムXの対立を思わせる構図が、とか、ワカンダの洗練されたビジュアルが、とか色々とあの映画の良いところを言う人はいる。
正直私はそこまで公民権運動に詳しくもないし、アフリカの風俗に詳しくもないのでその素晴らしさは私にはわからないのかもしれない。
だが、そういうところを抜きにすると果たしてあの映画は面白いのか?と思ってしまう。
人物の撮り方や構図はワンパターンだし、ずっと同じ画面が続いている感じがして飽きてしまうのだ。
各所で褒められているワカンダのビジュアルも、私にはアフリカの文化と西洋社会をグロテスクにミックスさせたように感じられて見ていて気持ちのいいものではなかった。
主人公も成長しているとは思えないし、いまいちヴィランであるキルモンガーの悲哀も伝わってこない。私の教養のなさと言ったらそれまでなのかもしれないが、いくらなんでもここまで人物に感情移入できないのは、演出に問題があるのではないか。
では何故あんなに評価されているのか、と考えてると思い浮かぶのはやはり「社会問題に深く切り込んで扱っている映画だから」ということだ。
でも、映画ってそういうものか?ポリティカルコレクトネスがしっかりしていて社会問題を深く扱っていて、アフリカ系アメリカ人の味方ならいい映画なのか?
そもそもアカデミー賞に期待する方が間違っているということもあるが、ほかにもっとあったんでないの?ちょっと社会情勢に媚びすぎでない?と思ってしまう。
同じように思った人っているのだろうか?